一般社団法人 岐阜県林業経営者協会

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2012年7月号

寺田家山林のこれからを考える             寺田啓起のぼやき

今の私

間伐後、下層植生が繁茂し始めた林分
間伐後、下層植生が繁茂し始めた林分

 10年ほど前から、私は地元の森林組合で働いている。少しでも林業のことを勉強し自分の山の経営に役立てば、という考えからだった。しかし、それは間違いであったのかもしれない。ただ、なんとなく与えられた業務をこなし、森林組合にいるというだけで林業を分かったつもりになっていただけにすぎない。しかも、仕事が忙しいから、と自分の山へ目を向けなくなっている。経営に関わることはすべて父がこなし、私は自分の山の状況すら把握できていない状態で、自分の山に対する必死さ、危機感がまるでない。林業で必死に生計を立てている方たちから見れば、考えが甘すぎるとしか言いようがないと思う。にもかかわらず、ある時は寺田家の山林所有者という中途半端な立場。これではただの、山持ちのお坊ちゃんである。

誰がやる?

 このままでいいのだろうか。これまでの考えをすべて捨て去り、今こそ真剣に自分の山のこれからを考えなければならない時ではないか。そう気付かせてくれたのは、林経協の先輩や仲間たちであった。必死に考え、模索している姿を見て自分と比べた時、「本当に自分は何も考えていない」と情けなくなった。

 今まで通り兼業林家という道もあるだろう。しかし、これでは絶対に何も変わらない。結局、定年までこの状況がつづくのが関の山である。その頃、林業を始めようとしても、すでに手遅れだろう。山は荒廃し何の価値もないものになってしまっているのではないか。これでは残してくれた先祖に申し開きが立たない。いずれは専業林家になることで、自分で考えいろいろな発想が生まれてくるのではないだろうか。誰かがなんとかしてくれる、そんな甘ったれた考えはやめよう。

 自分がやらなければ誰がやるんだ

これからするべきこと

 自分の山を自分の足で歩いてみること。一番にするべきことであり、最も大切なことではないか。自分で歩き状況を見ることで、どの山にどれだけの資源があるのかを知ることができる。そうすることで将来の目標となる林型や、どのように管理すればよいかが決まってくる。効率的に木材を搬出するための作業道をどこに開設すればよいかも決められる。

 今年度から「森林経営計画」制度の運用が開始された。今回の制度はかなり複雑化しており、計画書の内容は多岐にわたる。この内容に対応するためにも私にとって、自分の山の現況や過去の施業履歴を把握しデータベース化しておくことは必須事項といえる。そうすることで、計画も立てやすくなる。持続可能な森林経営のためにも、しっかりとした長期的な計画を作成したい。

最後に

250年生の杉
250年生の杉

 林業経営の継承は、先祖から受け継がれてきた物質的のみならず、精神的、文化的な森林づくりの歴史でもあるといえる。

 しかし寺田家には、まだ明確な施業方針がなく、これから築き上げていかなければならない。自分が寺田の所有する数百ヘクタールの山林を守り次代へ残していく、という使命は明確であり、その決意も固めた。あとは決意だけで終わらぬよう行動に移し、寺田家独自の継承可能な林業経営ができる方針を築き上げていく。

そのために今は、これまでの考えを正し、自分自身で苦労し模索していかなければならない時である。

そして、一日でも早く自分の山に自信と誇りを持てる林業経営者となりたい。